中二病知識の集積場です

なんじ、その子女こどもうちとおらしめてこれをモロクにささぐることをたえざれ」

−「レビ記」18章21節より



ユダヤ・キリスト教における悪魔、魔神、または異教神。
「モロク(Moloch)」モレク(molek)ミルコム(Milcom)とも。

コラン・ド・プランシーなどの悪魔学者によれば涙の国の君主であり、地獄会議のメンバーにして蠅騎士団の指揮官。
ミルトンの「失楽園」によれば「人身御供の血にまみれ、親たちの流した涙を全身に浴びた恐るべき王」「天において戦った天使のうち最も強く、最も獰猛な者」とされ、万魔殿パンデモニウムにおける会議では主戦派の筆頭として弁を振るっていたとされる。

「地獄の辞典」では玉座に座し冠とマントを身に着けた、腕の長い牛頭人身の姿で描かれている。これは王権と生贄を要求する強欲さを象徴していると思われる。

フレット・ゲティングスによれば「ゴエティア」?に記された72柱の悪魔の21番目、モラクス?はこの悪魔と関連しているという。

名前の由来は不明。伝統的にはヘブライ語の「王、あるいは支配する(mlk)」に「恥(boset)」の母音を加えた物が語源とされてきたが、近年ではポエニ語の「生贄」という単語が由来であるという説や、シリア語の「約束する」を意味する言葉が由来だとする説など様々である。

古代の西アジアで、豊穣の加護と引き換えに王の初子を生贄に要求する農耕神として崇拝されていたと考えられていた。ユダヤ・キリスト教においてこの強欲で残忍な神は徹底的に忌み嫌われ、聖書の様々な箇所において名指しで非難されている。

中世以降においてモロクは両手を広げて火の上に置き、その上に生け贄の子供を乗せる雄牛頭の人型の偶像として描かれている傾向がある。これは、カルタゴ人が主神であるバアル・ハモン?(カナンの主神バアルと関連)へ生け贄を捧げた描写から結びつけられたものだと考えられる(実際にトフェトにあるカルタゴ人の祭壇で幼児の焼死した遺骨が出土している)。また、ギリシャ神話?ミノタウロス?、ファラリスの牡牛とも関連しているという。

「地獄の辞典」などの記述によると、エルサレム近郊のゲヘナ?に据えられた彼の像は儀式の炉を兼ねており、内部には七つの戸棚があったという。一つ目は雉鳩、二つ目は小麦粉、三つ目は牡羊、四つ目は牡山羊、五つ目は子牛、六つ目は牡牛、そして最後の七つ目は子どもを収めるためのものであった。儀式の際にはこの炉に火を焚べ、モロクの祭司たちは像の周りで太鼓などの楽器を騒がしく鳴らした。しかしこれは神に捧げるための音楽などではなく、炉の中で生きたまま焼かれ泣き叫ぶ子どもの悲鳴をかき消すためのものであったという。
また、この七つの戸棚と牛頭人身という外見からか、七つの位階を教義にもち、牡牛と関連の深いミトラ神との関連を指摘されている。

……が、最近はモロクとは神の名前ではなく単に生贄を捧げるための儀式の名称にすぎないとする説も有力視されている。ではこうした生贄たちは何の神に捧げられたのかということだが、これはバアル・ハモンなどの有力な古代の神、あるいはヤハウェ?のいずれかに捧げられていたのではないかと議論されている。
つまり、これらの説によればこの悪魔の由来となったモロクという神は存在せず、別の名前の神に生贄を捧げる儀式の名称が悪魔の名として定着してしまったということになる。それでいいのか


個人的な考えとしては、カルタゴ人がフェニキアのトフェト(ゲヘナ)などで行っていた、バアル・ハモンへ幼児を生贄に捧げる儀式「モロク」について、カルタゴ人やバアルに関連する神をよく思わないユダヤ・キリスト教勢力がバアル・ハモンの名を封じつつ儀式を禁じるように伝えていくうちに、ミトラ神の逸話やギリシャ神話のファラリスの牡牛などの伝承が習合した結果、悪魔の名として伝わったと考えるのが自然ではないだろうかと思う。

……あと火葬に関連する逸話が多いので、涙の国というよりもむしろ炎の国の君主っぽい気もする。

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